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29. 赤い水路

作者: 月歌
last update 公開日: 2026-04-06 20:41:31

年齢を重ねても背筋は伸び、装いは質素でも隙がない。紙を扱う商家の妻らしく、目が鋭い。

「蘭珠様」

奥方は丁寧に礼をした。

「このたびは……娘の件。まことに、ありがとうございました」

「そんな……私はただ」

「いいえ」

奥方は言葉を切り、懐から布包みを取り出した。

「どうか、お納めください」

「え……」

蘭珠は慌てて手を上げる。

「礼金など、受け取れません」

「お受け取りください」

奥方の声は静かだが、強い。

「これは蘭珠様の働きがなければ得られなかった縁への礼です」

蘭珠は困り果てた。

(……本当に私は、何かをした?)

確かに芳玉を説得し、沈文景と会わせた。けれど、あれは半分賭けだった。娘の人生を預かったわけでもない。

しかし奥方は、それを当然のように言った。

「うちの芳玉は」

奥方は少し笑った。

「男に見向きもしません。婿の話を出すたび逃げ出す。私は、娘の未来が怖かったのです」

商家の娘として嫁ぐ。跡取りを産む。家を守る。

それは正しい生き方だと皆が言う。けれど、その正しさが娘を窒息させることもある。

蘭珠は奥方の目の奥に、母としての焦りを見た。

「沈様とは……どうなりましたか?」
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    朝靄を裂くように、楚凌たちの騎馬隊は城門前へ迫った。遠目にも、景衡の姿はすぐに分かった。閉ざされた門の前で馬を止め、城壁を見上げている。その周囲にはわずかな護衛が残っているだけで、王都を囲んでいた時の勢いはもうどこにもなかった。楚凌は速度を落とした。「止まれ」後続の騎兵たちも一斉に手綱を引く。蹄の音が途切れると、朝の空気に奇妙な静けさが戻った。景衡の護衛たちは剣へ手をかけている。だが、城門は閉ざされたままだ。楚凌はその光景を見ただけで、おおよその事情を察した。景衡はまだ城内へ入れてもらっていない。しかも城壁の上には兵が並んでいるものの、こちらへ弓を向ける様子がない。景衡を守ろうとしているなら、すでに射かけてきてもおかしくない距離だった。城側は迷っている。いや。すでに答えは、ほとんど出ているのかもしれない。「楚凌……!」景衡が振り返った。その顔は青ざめ、長い逃走の疲れがありありと浮かんでいる。「なぜ、貴様がここまで……」楚凌は景衡をまっすぐ見据えた。「陸曜は死んだ。王都へ入った兵も捕らえた。これ以上逃げても意味はありません」「黙れ!」景衡は声を荒らげた。「まだ終わってはいない! ここには兵がいる。蒼隼国からも援軍が来る!」その言葉に、城壁の上の兵たちがわずかにざわめく。楚凌はそれを見逃さなかった。やはり、蒼隼国の援軍はまだ来ていない。そして城内の者たちも、それを当てにして命を懸ける気にはなっていない。楚凌は馬を数歩進めた。景衡の護衛が身構える。こちらの騎兵たちも剣へ手をかけたが、楚凌は片手を上げて制した。今ここで戦を始める必要はない。戦わずに終わらせられるなら、その方がいい。楚凌は城壁を見上げた。「城を守る者へ申し上げる!」声を張る。兵たちの視線が一斉に集まった。「我々が追っているのは景衡王爺です。この城の兵や民と戦うために来たのではない!」城壁の上で、先ほど景衡と話していたらしい武官が姿を現す。楚凌は続けた。「門は閉ざしたままで構わない。こちらへ兵を出す必要もない。ただし、景衡王爺を城内へ入れないでいただきたい」景衡が目を見開いた。「何を勝手なことを!」楚凌は構わず言葉を続ける。「王爺を入れれば、この城は反乱の拠点となる。そうなれば、皇太子殿下もこの土地を敵地として扱わざるを得

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  • 妊娠中に追放された皇太子妃ですが、無骨な武将に溺愛されています   52. 皇太子の決断

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  • 妊娠中に追放された皇太子妃ですが、無骨な武将に溺愛されています   5. 夫の目が、私を映さない

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  • 妊娠中に追放された皇太子妃ですが、無骨な武将に溺愛されています   4. 帰還の報せと、満月の影

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  • 妊娠中に追放された皇太子妃ですが、無骨な武将に溺愛されています   3. 風の中の影

    夜更けの回廊は冷え切っていた。蘭珠はその中を、ひとり震えながら歩いていた。産むべき子を抱えた腹を、そっと両手で包み込む。景炎が出陣してから、宮中は目に見えて変わった。侍女たちは蘭珠を避けるようになり、妃仲間も距離を置く。理由はわからない。ただ——景炎が書き送ってきた文が、ぱたりと途絶えた。「何かあったの……?」胸の奥で不安が揺れる。あれほど深く求められ、愛され、「必ず戻る」と誓いさえ交わしたのに。蘭珠は壁に手を添え、深く吸い込んだ。冷たい空気が肺を刺し、胸が締め付けられる。そんな彼女のもとへ、小走りの影が近づく。「蘭珠様、戻られましたか……!」若い侍女・梅香が、顔

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